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2008年4月 4日 (金)

バッハ小伝〜フォルケル

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本の写真はサンスーシー宮殿でのフリードリッヒ大王のフルート演奏(19世紀中頃にメンツェルが描いた)

ちなみにサンスーシーとはフランス語で「憂いなき」この宮殿はポツダムにあり、ユネスコの世界遺産に登録されている。なぜフランス語か?当時の貴族の公用語がフランス語であったことと関係があるのかもしれません。

こんばんは。3月の中旬ころからしばらく記事はエントリーしておりませんでした。パソコンのハードディスクが壊れたこともあり、以前の私なら即日で復旧させるところですが、このごろじたばたするのはやめることにしました。最近のほとんどの方にとって自身のパソコンの占める割合はどのくらいなんでしょうか。

私は携帯はあまり好きではありませんので必要最小限しか使用しませんが、パソコンは文房具、辞書、音楽、ビデオ等使いまくりますので機械の寿命も極端に短いのは宿命かと思います。

さて、パソコン復旧の間にバッハ関係の本を4冊、グールド関係の本を2冊読んでおりました。今日はその中から、フォルケルの「バッハ小伝」をご紹介したいと思います。

その前に「小伝」の意味するところですが、訳注およびバッハ年表などを付録を別にすれば、フォルケルがバッハの伝記に相当する部分が全体128ページの中で16ページしか記していないのでこのような「訳」になったと思われます。

後で各章の表題を紹介しますが、全体としては「バッハ論・バッハ評伝」の体をなしております。ヨハン・ニコラウス・フォルケル(1749〜1818)は1770年ゲッチンゲン大学のオルガニスト、1779年から同大学で音楽監督を務めました。現在では音楽研究家として有名ですが、ドイツで最初の「音楽通史」(16世紀までで中断)を書いたことで有名になりました。

若いときからバッハの音楽に傾倒し、1801年から1804年にかけてライプツィッヒのホフマイスター=キューネル社(ペータースの前身)から出版されたバッハのクラヴィア曲全集に協力したのです。この全集の付録として書かれ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどにバッハの音楽を紹介したウイーンのゴットフリート・フォン・スヴィーテン男爵に献呈されました。フォルケルはバッハの死の前年に生まれていますのでゼバスチャンのことは息子フリーデマンやカールフィリップ・エマヌエルから情報を得たのです。

前にも紹介したことのある有名なエピソード、兄のヨハン・クリストフの音楽帳を月明かりを頼りに半年がかりで写譜したこと、「音楽の捧げ物」作曲の経緯、ゴールドベルグ変奏曲のいきさつなど、たいていこの本が底本になっていました。

さてこの本の中でもっとも有名な部分ゴールドベルグ変奏曲についてのフォルケルの記述をそのまま引用します。(角倉一朗訳)

この変奏曲はザクセン選帝侯宮廷駐留の前ロシア大使、カイザーリンク伯爵のすすめによって生まれた。伯爵はしばしばライプツィッヒに滞在し、ゴルトベルクを連れてきてバッハから音楽の教授を受けさせた。伯爵は病気がちで、当時不眠症に悩まされていた。同家に居住していたゴルトベルクはそのようなおり控えの間で夜を過ごし、伯爵が眠れない間何かを弾いて聞かせねばならなかった。ある時伯爵はバッハに、穏やかでいくらか快活な性格をもち、眠れぬ夜に気分が晴れるようなクラヴィア曲を、お抱えのゴルトベルクに書いてほしいと申し出た。(中略)伯爵はその後もこの曲を「私の変奏曲」と呼ぶようになった。彼はそれを聴いて飽きることがなく、そして眠れぬ夜がやってくると永年の間、「ゴルトベルク君、私の変奏曲をひとつ弾いておくれ」といいつけるのであった。

なお、伯爵はルイ金貨が百枚つまった金杯をこの変奏曲の謝礼として贈ったとあります。

ちなみにこの時のゴルトベルクは14,5歳大変な演奏技術を持つ少年だと思うのですが、フォルケルは別の章で、ケーニヒスベルク出身のゴルトベルク・・非常に優秀なクラヴィア奏者だが、作曲に対する特別な素質はなかったと、厳しく論評しております。

■序言
■バッハの家系
■クラヴィア奏者としてのバッハ
■オルガニストとしてのバッハ
■バッハの和声
■バッハの旋律
■教師としてのバッハ
■人間としてのバッハ
■バッハの作品
■バッハによる改稿
■バッハの精神

となっています。各章は真の理解の意味で音楽の基本知識を要しますが、そんなことはかまわずに読み進みまた知識がついた時点で読み返せばいいと思います。各章、バッハの作品を演奏するあるいは鑑賞する上で短い記述ながら非常に示唆に富んだ内容になっています。

ひとつおもしろい例をあげましょう。
Regis Issu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta (王の主題その他が王の命令によりカノン風に展開される)

有名な音楽の捧げ物の三声のリチェルカーレの表題として書かれているのです。青字をつなげるとリチェルカーレになりますね。バッハはフリードリッヒ大王に最大の敬意を持って作曲したことがわかります。一種の知的な言葉遊びですよね。

最後にフォルケルは次のようにバッハ小伝を締めくくっています。

そしてこの人物−かつて存在し、また将来存在するであろう最大の音楽詩人にして最大の音楽雄弁家−はドイツ人であった。祖国よ、彼を誇れ。彼を誇りとし、かつまた彼にふさわしいものとなれ!

ドイツ人ならずとも感動を呼ぶ名言ですね。(1802年ライプツィッヒで出版)

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